*chapter1* 黒猫少年

本を詰め込んだ鞄が肩に食い込む。
手袋を忘れたので、指先が冷蔵庫にいれておいたみたいに冷たい。


12月の風に耳と鼻先をツンと冷やしながら、ベロアの真っ黒いロングスカートを衣擦れさせて図書館の前を通り過ぎると、やっぱり「トム」はあそこにいた。


今日は珍しく、うすく黄緑がかったハードカバーの本を読んでいる。
何の本かタイトルまでは見えないのが残念だ。




図書館の正面はガラス張りになっているので、こんな風に外から館内の様子を伺える。


丸やら長方形のテーブルがゆったりと並ぶなかで、「トム」はいつもあの席に座っている。


パーティションで仕切られた6人掛けの長机の、左から2番目。
そこの窓側の右端の席。




たいていはカバーをかけた文庫本を読み耽っているのだが、机にくたっと突っ伏して寝ている時や、何やら熱心にペンを動かしている時もある。


図書館以外で見かけたことがないので、名前はもちろん、何学部の何年生なのかさえ知らないのだが、華奢な体躯と、襟足に癖のある黒髪、それに人懐っこさとは無縁の雰囲気は、まるで憎たらしい黒猫のようなので、わたしはその黒猫少年を密かに「トム」と呼んでいる。




「トム」と名付けて観察しているのは、とりたてて顔が好みだからとか、そういう理由からではない。


わたしは「トム」の着ている洋服がとても好きなのだ。


「トム」はたいてい、ボタンを一番上まで留めたシャツか、襟元のくたっとしたカットソーに、やわらかそうなカーディガンか、よれよれのニットを羽織っている。


足元は細身のパンツで、外からでは靴はよく見えないのだが、脚を組んで座っている時には必ず、履きつぶした黒いぺたんこのスニーカーが覗いているので、おそらくいつもそれを履いているのだろう。


黒や焦げ茶、アイボリーなどのアースカラーの洋服は、溶け合うように「トム」に纏わり付いていて、


それはもう「トム」の肌の延長のように自然で、ひとつで、わたしはまるで美しい珍獣に出くわしたかのように、その美しさを形容することばを探すことも忘れて、ほんの2、3秒、成す術もなく短く見とれるのだ。




「トム」。
野良猫の「トム」。




わたしの中の「トム」は、動かず、食べず、喋らない。


図書館で本を読む姿や、寝ているところ、机に向かう様子を外から眺めているだけなので、「トム」がどんな風に歩いて、疲れた時にはどんな風に伸びをして、お腹が空いたら何を食べて、どんな友達とどういう声何を話すのかも知らないし、知らないままでいたい。


「トム」は図書館での「トム」として完成・完結しているので、動いたり食べたり喋ったりする「トム」は、もう「トム」ではない。




だからわたしは、外からじっと観察するだけで、隣の席に座ってみようだなんて思わないし、ましてや声をかけてみようとも思わない。


今の「トム」以外の「トム」は見たくも知りたくもないと思う。




「トム」。
野良猫の「トム」。


わたしはこういう、ある種の自己完結的な遊びを好む。
図書館以外での彼の姿を徹底的に排除することで、その領域は誰にも侵されることなく日々ひそやかに延長されゆき、わたしはそれが至極当然のことのように、ただひたすらに彼を「トム」と認識してさえいればいいのだ。


安全で、サイケデリックな遊び。


「トム」。
野良猫の「トム」。


11/30 22:20

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